いつの頃からか、自分の立ち位置がよくわからなくなった。


サクラの親友で、ライバルでもある私。
サスケくんのことが大好きで、絶対にいつか彼女になるんだ!と意気込む私。
くの一の中でも特に目立っていて、期待されていた私。



どれも本当の私だけど、そうじゃない。
何かが違う。

じゃあ「何が違うんだ」と問われると、それは自分でもわからない。
けど、何かが……違う。


漠然とした不安が心の中を浸食していく。
それが怖くて 怖くて たまらない。


なのに。「助けて」の一言が、言えない。





「よし、それじゃあ今日はこれで任務完了だ」
いつもの煙草を吹かしながら、立派な髭を蓄えたアスマが笑う。

言い終わるや否や、チョウジが万歳をしながら走り出す。

「焼き肉ー!!や・き・に・くっ!」
「おいおいチョウジ、本当に食いに行く気か?」
「え、だって……この間先生約束してくれたでしょ」
「あー、ありゃーなぁ。お前のやる気を引き出すためというか」
「えー!!じゃあ嘘だったの!!?」
「……ったく、だから食べ物でつるなっつってんだよ。めんどくせー」


10班らしいやりとりを横目に、いのは静かに空を見上げていた。

おしゃべり好きないののことだから、普段ならもっと会話に入って行く。
なのに今日に限って、その積極性は影を潜めていた。


「ね、いのも行くでしょ?焼き肉」
「……え、あ、もちろん行くわよー!」
「仕方ねぇな、約束しちまったからな……」
ぷかぷか浮かぶ煙草の煙が、苦笑い気味のアスマの顔を包む。
それとは対照的に、チョウジの顔がパァっと明るくなった。


「行くぞ焼き肉ー!食うぞ焼き肉ーー!」
チョウジの号令とともに、チョウジだけが店へ向かって駆け出した。




店に入ると、食欲をそそる香ばしい匂いに出迎えられた。
案内されるのより先に、チョウジは席につきメニューを開く。
「ちょっと落ち着けよ」「そんな慌てなくても」
シカマルとアスマに諭され、ようやくチョウジも落ち着きを取り戻した。
……かと思ったが。

「で、でも!これ以上待てないんだ、限界!」

そう叫ぶチョウジの腹から、怪物の悲鳴のような音が鳴る。
「な、なんだ今の音は……!?」
「ボクのお腹の音だよ」
「す、すげぇー…」


アスマの財布が空っぽになってしまうのではないか、と思うほど
チョウジは勢い良く注文をする。そして食べる食べる。
思わず視とれてしまうくらい、鮮やかに食べる。


「あー、やっぱり美味しい!なんでこんな美味しいんだろう!」
「お前ホント幸せそうで良いよな……」
「つーかメシん時くらい、もっとのんびり食いたいっつーの」

男たちがムシャムシャと焼き肉を食べ尽くして行くなか、
いのの箸はあまり進んでいなかった。

「いの、またダイエットしてるの?」
チョウジの素朴な疑問がぶつけられる。

その質問をあまりよく聞いていなかった彼女は、反応が遅れてしまう。
「……えっ?あ、あー…ごめん、何?ちゃんと聞いてなかったわー」
「……いの、どうかした?なんか元気ないみたい」
「そ、そんなこと無いわよー!ホラ、ご覧の通り!元気よー!」
「………」



誰もが気付いていた。
アスマも、チョウジも、シカマルも。

そして いの自身も。


どう見たって、いつもの彼女とは違う。



そりゃあ誰だって、悩みの一つや二つはあるだろう。
思わず自分の世界に入ってしまって、考え込んでしまうことだってあるだろう。

でも、彼女の場合……自分から悩みや弱みを打ち明けるタイプではない。

いつだって、どんな時だって強気でいく。
決して相手の前で弱い姿は見せない。


だからこそ、こんな風にボーっとしてしまうこと自体、珍しいことだった。



そしてそのことを誰より一番理解していたのは、いの自身。
他人の前でこんな姿を晒してしまうのは嫌なのに。
今日はどうも自分をコントロール出来ない。

感情が 表情が 態度が 言葉が 全てが空回りで。

いつのもように豪快に笑ったり、みんなをからかったり
くだらない会話で盛り上がったりが できない。



「ちょっと何よ、みんなして。そんなジロジロ見ないでよねー」

−そんな目で私を見ないで

「あ!もしかしてー。私の色気にやられちゃったんじゃないのー?」

−お願いだから 私を見ないで

「残念だけどー、私は理想が高いのよ!アンタたちじゃダメダメ」

−だってこんなの、私じゃない



何も言わない男たちを目の前に、いのは延々と喋り続けた。
不自然なほど、ぺらぺらと。


「……いの!」

アスマが、いつもよりワントーン低い声で名前を呼んだ。
思わず、いのの華奢な体がビクっと震える。

「さっきまでダンマリだと思ってたら、急に喋り出して」
「な、何よー。何か文句あ」
「お前が何を悩んでるんだか、オレたちにはサッパリわからんが」
「……!べ、別に悩みなんか」
「何か困ったり、辛いことがあるんだったら。いつでも言うんだぞ」
「……は…?やだちょっと、どうしたの先生ー!何かっこつけちゃっ」
「オレでもいいしシカマルでもいい。もちろんチョウジもいる」
「……頼りないわねー…」
「あいたたた…痛いとこ突くなよ」
「だってホントのことじゃなーい」
「はは、口だけは達者だな全く」
「だけって何よ、だけって!」


しばしの沈黙。
シカマルもチョウジも、何も言わない。
ただジっと、いのとアスマの言葉を聞いている。

「まぁ、お前は意地っ張りだからな。気長に待つか」
「……ふふ、なんのことだか」
「気が向いたらでいい。ただ、一人で背負い込むな。それだけだ」


いのは下唇を噛んだ。
色んな感情が入り交じったその力は、唇から血を滲ませる程に強かった。


−わかってる、わかってるわ こんなのいつもの私じゃない




お開きの時間になった。
チョウジは「じゃあ、また明日ー」と言ってニコニコ手を振ってくれた。
その笑顔が いつもは大好きな筈なのに。
なのに、なんでだろう。
今日は、こんなにも、くるしい。


−ああもう……なんでこんな、おかしいのよ


お気に入りの煙草を加えながら、アスマもまた家路へと向かった。
「今日はゆっくり寝ろよ」
その一言と、煙草の苦い香りだけを残して。



残ったのはシカマル、そして いの。



空はもう漆黒の闇。
そこにぽっかりと浮かぶ丸い月だけが、きらきらと輝く。

−月って 自分じゃ輝けないのよね


そんなことを考えていると、ボソっと呟く声がした。


「おい、いの。お前さー……何かあったんだろ?」
「何よシカマルまで。無いわよ別に」
「……はぁー、ホントめんどくせーやつだな」
「な、何がよ!ほっといてよー!」
「お前、自分の顔、見てみたら?」
「…え?」

自分の顔?どうして?




「……めんどくせー、けど。
 そんな泣きそうな顔されたら、放っとくわけにゃいかねーだろ」




めんどくせーと言いつつも、言葉が優しい。

「……っそ、そんなこと…!ないわよー…!」

精一杯の強がり。
そんなことを言ったところで何の意味もないのに。



「いや、っつーか……」
「な、なによー……」
「もう泣いてるし」



気がつけば頬を伝う涙は、止まることを知らない。
絶対泣かない、泣いちゃいけない そう思えば思うほど止まらない。


−なんで涙が止まらないのよ!なんで私、泣いてるのよ……!


「いの」
「……」
「言いたく無いなら、別にいいんだけどよ」
「……」
「ただ。アスマもチョウジも、…オレも」
「……」
「こう見えても、お前のこと心配してんだぜ?」
「……」

普段はぼーっとしたりやる気がない奴なのに、シカマルはずるい。
意外とフェミニストだったりして、女の子には優しい。

そんな風に言われたら

せっかくめいっぱい強がってる自分という殻が 壊れてしまいそうで



−今まで一度も、誰かの前で泣いたことなんて無かったのに!



いのは下唇を噛む。それも、さっきよりもっと強く。


「おいおい、そんなに力強く噛んでっと、また血が出るぞ」
「……うるさいわねー」
「…はぁ?」
「うるさいって言ってんのよー。余計なお世話なの!」
「……」


どんなに冷たく言い放ったって 涙はやはり止まってくれない
矛盾する言葉と感情

自分が何を言ってるのか。
自分が何を思ってるのか。
だんだん混乱してきて、ぐちゃぐちゃになってきて。


いのはフラフラと力なくその場に座り込んだ。




「……私はねー、くの一のルーキーの中でも特に注目されてたのよ」
「…知ってる」
「先生たちからはもちろん、周りの子たちからだって。いつも褒められてたわ」


でもね、あくまでもその時は って話なのよ。

アカデミーを卒業して、新人下忍になって、サクラとも戦った。
だけどその試合で私たちは引き分けた。
あの子に勝てなかったのよ、私が。

……サクラのことは親友だと思ってるけど
でも、きっとどこかに、「あの子には勝てる」って気持ちがあった。

あの試合、私たちは本気でぶつかり合った。
だからこそ引き分けたんだと思う。
サクラがあんなに成長してたなんて、すごく嬉しいし、頼もしいとも感じた。

それと同時にこうも思った。
「じゃあ、私はどうなの?」って。


「いのだって成長してんだろ」
「ふふ、どうかしらね−…」


周囲からの期待の目。
それに応えようとする自分。


別にチヤホヤされたいわけじゃない。
褒められたいからじゃない。

なのに、気がつけば周囲からの想いはプレッシャーとなって伸しかかる。


結果を出さなきゃ。もっと強くならなくちゃ。

だけどその思いはいつも空回ってばかりで。
チョウジにもエラそうに言っておいて。

じゃあ私はどうなんだって聞かれたら……


「だから、そんなに自分を追い詰めるなっつーの」
「……私だって嫌よー」
「お前はお前だろ?オレはオレだし、チョウジはチョウジ」
「わかってるわよ、それくらい!」


わかってる、わかってるんだけど

「…ふふ、嘘。わからないわ」
「……」

「本当は。自分がよくわからないのよねー……」




他にも言いたいことはいっぱいあった。


サスケくんのことは好きなんだけど、
今は昔とはちょっと違う気持ちになりつつある…とか。

シカマルはどんどん先にいっちゃって、もう中忍になっちゃうし
チョウジだってなんだかんだ言って頑張ってるのに
私だけ、あんまり変わってないような気がする…とか。

よくわからないけど、色んな事がすごく不安で。
この心のモヤモヤはどうしたら晴れるのか…とか。


言いたいことが頭の中を駆け巡る。
でも、それをうまく言葉に出来なくて もどかしくて。



真っ赤に腫らした大きな瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれる。

−せっかくシカマルが聞いてくれてるのに、声が出せない……



そんな彼女の様子を察したのか、シカマルはいのの顔を覗き込む。
「いの」
「……なによー」


「ありがとな」



「……???」



シカマルは、いのの顔をじぃっと凝視したかと思うと、
今度はふっと優しく笑った。
そして感謝の言葉を口にした。

それが何のことなのかがさっぱりわからなくて、いのは困惑する。


「え、え?私…シカマルに感謝されるようなことした?」


柄にも無く慌てふためくいの。
その様子を見てシカマルがプっと吹き出す。
「ちょっと!何笑ってんのよー!」

拳を振り上げながらいのが迫る。

−ああもう!!今日は調子狂いまくりだわー!サイアク……!




「“ありがとな”っつった理由」

−……?

「お前が、話してくれたからだよ」

−…な、なにを?


「いのが今、“悩んでる”っつーことを」

−え……



「お前、昔からそうだけど。めんどくせーぐらい、悩みとか相談しなかったし」

−そ、それは…そうかも……

「だからよー、さっき話してもらえて。ちょっとホっとした」

−…なんでアンタがホっとするのよー

「アスマも言ってたろ?一人で背負い込むなって」

−何言ってるのよ、だってこれは私自身の問題なのよ?




「確かにこれはいのの問題だから、お前が乗り越えなきゃなんないだろーけど」

「だからっつって、お前が全部抱え込む必要はねーんだよ」

「オレたち……仲間なんだからよ」




そう言ったシカマルの頬は、ほのかに赤く染まっていた。
辺りはもう真っ暗だから、その表情まではよく見えないけれど。

彼は彼なりに、自分を励ましてくれてるんだな といのは思った。


−だって、こんなシカマル……見たことないわよ


「……ふふっ、シカマルどうしたのー?今日はすーごく優しいじゃなーい」
「うっ、うるせー!っつーかお前ホントめんどくせー」
「何よ、めんどくさいなら放っとけばいいじゃないー」
「だからさっきも言ったろ。男が、泣いてる女を放っといて帰れるかっつの」


めんどくせー とかブツブツ文句を言うくせに。
彼の口から紡がれる言葉は、どうしてこうも温かいのだろう。



シカマルだけじゃない。
チョウジだって、アスマ先生だってそう。



うちの男共は、なんでこんなにあったかいのよ




「あー。っつーかオレ、こんな台詞言うキャラだっけ?」
「ふふふ、ちょっとかっこよかったわよー」
「そりゃどーも」




泣きはらした少女の顔は、いつの間にか笑顔になっていた。




空を見上げると、当たり前のように月が輝いている。

−月って 自分じゃ輝けないのよね


でも


きっとそれは悲しいことじゃない。


だって、自分じゃ輝けないのに いつも輝いていられるってことは
輝かせてくれる存在が傍にいるということだから。


それはすごく幸せなこと。
だけど、当たり前過ぎて、実はなかなか気がつけないこと



−私がこうしていられるのは、やっぱりあの三人のおかげねー…悔しいけど!




不安になることもある。失敗を恐れる時もある。
迷って悩んで、どうしたらいいのかわからないこともある。

自分の弱い部分が嫌で嫌でたまらないこともある。


でも、こんな身近にいたじゃない。

頼りないけど、私の愛すべき仲間たちが。
普段の私も、弱い私も、全てひっくるめて認めてくれる、大切な仲間たちが。




「シーカマル」
「あー?」
「……ありがとう」
「なんだよキモチワリー」
「ちょっと何よそれ!人がせっかく真剣にー!」
「じゃぁオレもう帰るからよ」
「あっズルーい!私だって帰るんだからー!」
「ズルいってなんだよ…」




これからも、いっぱいいっぱい悩むことがあるだろうけど

なんとなく大丈夫な気がした。


−だって私には……



「ちょっとシカマル、待ちなさいよー!」
「…帰る時くらい自分のペースで帰らせてくれよ」
「チョウジだったら待っててくれるわよ!」
「オレチョウジじゃねーし」
「そんなの知ってるわよー!」
「……」



−だいすきな、仲間たちがいるんだからねー!





いのは、いつも明るくてたくましくて、しっかりした強い子だと思います。
だからこそ人前で弱い部分とかは見せたく無いんじゃないかな、と。

でも、そういう弱い部分や情けないところもひっくるめて
彼女の事を温かく包んでくれるのは……

やっぱり10班の面々なんだと思います。




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